2006年04月15日

見ているもの

また続きですが、違う切り口で。

前も書きましたが、人には「見えているもの」と「見えていないもの」があります。
それから、「同じ世界を生きている人はいない」とも書きましたが、物理的に存在しているものは1つしかありません。みんな、同じ宇宙・地球の上で生活しています。
その「みんなが生活している世界」は、多くは「見えていないもの」から構成されていることになります。
なぜなら、自分ひとりでは経験できることが限られているからです。一生本を読み続けても、いままでに刊行された本・これから刊行される本の全てを読むことはできないのです。
そういう意味で「見えていないもの」で「みんなが生活している世界」は構成されているのですが、別の意味でも「見えていないもの」で構成されています。
それは、自分が見える範囲にいても見えないもの、です。
真っ先に思いつくのは空気でしょう。

空気は無味無臭の気体です。
普段生活しているときにその存在を意識することは多くありません。
無味無臭の気体はどんなものであっても、意識されることは少ないと言うことです。
そのような気体で言うと、いろいろな気体があります。サリンガス・自動車の排気ガス・アスベスト粉塵。
空気そのものの温度が上がっても、温暖化という自然に多大なる影響を与える現象となってしまいます。

液体に関しても、毒薬や薬剤が入っているかどうかは見た目ではわかりません。
透明の点滴を使用するときも、溶けている物質が違えば大事です。
酸性雨もそうです。phが少し酸性よりになるだけで、生態系には大きく影響します。
紫外線も宇宙線も同じです。

このように、見えないものの影響は気づくのに時間がかかったり、あるいは気づく方法が難しかったりするため、影響が大きくなると言えます。

見えないもの、環境に影響するもの以外にもまだあります。

音です。

音楽は人のこころを癒してくれます。
音楽が鳴る前と鳴った後で形が大きく変わるものはありません。

音楽だけでなく、人は言葉で会話をします。
メールや手紙、書類であれば、渡したかどうか、読んだかどうかなどは記録すれば、証明することができます。
しかし、言葉はそうはいきません。

言った言わない・聞いた聞いていないの水掛け論に発展することがあります。

証拠や記録を残す、というのは、それ自身の意味でも大事なことです。が、「見えないもの」に注意するという観点からも、大事にしなければならないことなのではないかなと思います。

本を読むとき、しばしば「行間を読め」と言われますが、もっともなことだと思います。

みなさんも「見えるもの」ばかりにとらわれず、「見えないもの」により注意を払う意識をもってはいかがでしょうか。
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2006年04月12日

相互理解

前回の続きです。

色がひとによって違う色に見えているかもしれない、ひとによってものの存在の認識が違うかもしれない、と前回書きましたが、みなさんもおわかりのように、これらははっきりいって詭弁です。
ただ、こういう考えで物事を見直すことで、新たな発見のきっかけになるかもしれないと思っています。

最後に書いた「人は誰一人として同じ世界に住んでいない」というのは、一番重要なことで、意識する必要があるかなと思ってます。
人というのは、一人では生きていくことができません。それはキャッシュフローとか、助け合いとか、社会の分業体制とかそういうものだけではなくて、精神的にまとまりを求めたがるものだと思います。
簡単に言えば、自分や自分の考えを認めてくれたり、理解してくれたりする人が欲しい、ということです。
それは、宗教であったり、家族であったり、友人であったりすることと思います。
そのようなまとまりを求める場合、同じ世界に住んでいる人だからわかってくれるはずだ、という思い込みを前提として話をすることがよくあります。
そこに落とし穴があると思うのです。

「わかってくれはずだ」→「理解してもらえなかった」という変化を辿ることによって、「裏切られた」という思いを持ってしまいます。
「裏切られた」という被害妄想は悪循環の始まりです。あまりよいことではないと思います。

そこで、「誰一人として同じ世界に住んではいない」ということを思い出してみましょう。
同じ世界に住んでいないのだから、わかってもらえないことの方が多いと最初から思い、それを前提として、話す内容や順番を考えたりすることはもちろん、こちらの話だけではなく相手にも考えがあるのだからしっかりと話し合って、お互いの意見を尊重しよう、という姿勢が大事なのではないかと思うのです。

それを忘れてしまうと、考えが違うから排除しようという動きになってしまうことがあります。
極端な例ですと、それが宗教戦争であったり、派閥争いという形で表れてきます。

仕事においても同じです。同じ職場で、なおかつ同じプロジェクトに関わっているから、これくらい話せば通じるだろう、と考えず、何回か重複してもいいから復習の意味をこめて同じ内容から話し始めることはよいことだと思います。
相手が「それはもう知っているよ」と言う反応をしてから内容を変えても遅くないでしょう。やりすぎはよくないですが。。。

さらに、日常の話し方一つを取り上げてもそうです。
意見や価値観が違うからわかってもらえないと思って話す、あるいは持っているデータがあまりにもお粗末過ぎるから馬鹿にして話す、という態度は当人の立場はもちろん、傍から聞いていても聞き苦しいものです。
政治家が揚げ足を取り合うような口調で話すさまを見ていると、本当にがっかりします。

いわゆる思いやりを持って、お互いを尊重することを第一において行動すれば、新しい視野で物事を見ることができるのではないでしょうか。
posted by replicants at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月10日

見えてる?

最近成分解析をやっていないのに、先週の成分解析のおかげでアクセス数が高止まりしています。
成分解析Web版を見つけましたので紹介しておきます。こちらです。

一昨日、「感染」を見たのですが、その中の一シーンに、「見えているとはどういうことなのか」、みたいな一節がありました。
私も子供の頃から似たようなことを考えていました。赤はなんで赤いのだろう、と。
もちろん可視光のうち赤以外の波長の色を吸収して、赤だけを反射するから赤く見える、という科学的説明はわかるのですが、みんなにも赤い色が同じように見えているのだろうか、と。
つまり、自分が赤だと思っている色は、隣の人にとっては緑なのかもしれない、自分が緑だと思っている色を隣の人は赤だと認識しているかもしれない、ということです。
その人にとっては、生まれたときからその色を赤だと思っているから赤としか思えないと言うことです。
不思議だと思いませんか?

上で書いたのは、色は人によって見ている色が全然違う可能性があるというお話でした。
それでは、色だけではなくて「もの」自体はどうでしょう。
自分には見えていても、他のひとには見えていないかもしれない。
いちいち見えているものひとつひとつの存在をお互いに確認していたらきりがありませんよね。
「実は自分だけにしか見えていないもの」、そういうものが自分の周りに存在しているかもしれません。

それでは、「色」や「もの」だけではなくて、「見える」と言うのはどういうことでしょう。
「見える」と言うのは、自分の目が光を捉えることができる範囲でしか通用しませんよね。
つまり、背中側のものは「見えていない」ということです。
自分が見えている範囲は限られています。
もっと言うならば、一生のうちで行動する範囲、見る範囲はごくごく限られたものです。
ひとが行動している間にいろいろな物が変化し、移り変わっていっています。
自分がいま見ているものは、その一瞬しか見ていないのです。
次の瞬間には別のものに変わっているのです。
だから、死ぬまで見ないものの方が圧倒的に多いことになりますね。

もちろん、「見る」だけではなくて、「音」であったり、「触感」であったり色々感じることができますし、「そのもの」を見なくても本とか図鑑とかから「想像」して世界を形作るものですよね。
たとえ、テレビであっても結局は平面ですし、実際に見るのと違うこともよくあると思います。
テレビのように動くものを視覚的に表現できる媒体でさえ、情報はかなり欠落しているのです。
だから、「実際に見る」よりも「想像」によってものを認識することの方が多いのではないかと思います。

人間の感覚は8割以上視覚に支配されていると言われますが、自分の形作る世界、「自分が生きている世界はこんな世界だ!と思っている世界」は、大方想像によって作られてるのではないでしょうか。

誰一人として、同じ世界に住んでいるひとはいないのです。

ここから色々な話に発展していくのですが、それはまた別の機会に。
posted by replicants at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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